2007年5月6日日曜日

現代の最高学府

茂木健一郎 クオリア日記: 夢見ることに似た より

現代の最高学府はケンブリッジ大学でも、
ハーバード大学でもなく、インターネット上にある。

入試もない。試験もない。学ぶ意欲がある
人には、誰にでも、最先端、最高の知識が
無尽蔵に用意されている。

入試という中途半端な知の遊戯で
「クラブメンバー」が決められていた、
「談合社会」は崩壊しようと
しているのだ。



世の中で働くようになって思ったことは、毎日とにかく勉強することが多いということ。学校の中にいる時は何を学べば良いのか、高校の頃まではそれぞれの科目でそれなりのガイドラインや問題集みたいなのがあるぶん楽だった。ところが、大学に入ると、日本の大学はどうなのかしらないけれど、もっぱら勉強のやり方というものを学ぶようになる。どんな風な考え方やアプローチ方法があり、どれだけ多くの本をどのように読みこなすのが良いかといった、より高度な学ぶためのプロセスを学ぶといった状態になる。
そして世に出て働くようになると、毎日やってくる様々な問題に対して、いかに自分で調べ、能力を駆使し、時には人の手を多かれ少なかれ借りながら、解決していく能力を問われる。そこには学校や入試のテストのようなこれといった答えは無く、100%正しい正解等ない問題がただひたすら次から次へとやってくるだけだ。
そんな中で生き残っていくためには、継続した学習以外に無い。それを体系的にまとめることは困難だが、各ジャンルに至っては、今の時代、総てが体系的になっているのが唯一の救いだろう。とはいえ、それぞれの分量は膨大なのだから、それを短時間で必要な形に加工し、吸収ないしは問題解決の手段として使っていかなければならない。

Googleのような優れた検索エンジンが自分の脳の中に入って、総ての情報を取り出しやすい形でアウトプットしてくれたら、どれ程楽かと思う。とはいえ、インプットが少なければ、たとえアウトプットしやすい脳を持っていたところで、意味が無い。それゆえ、継続的学習は常に求められる。高校を出たら、大学を出たら勉強というのが終わりを迎えるのではなく、実はそれ以上に複雑で答えの無い問題を永遠に与えられる、とにかく大変なサバイバルゲームに突入するだけなのだ。

フューチャリスト宣言

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